恋心
小学五年生の夏。僕は確かに恋をした。
夏休み。父がロケで田舎に行くと言うので、父の食生活が心配だった僕はついて行くことにした。何せ山奥だ。身の回りの世話をアイドルにさせる訳にはいかない。父はプロデューサー。アイドルをプロデュースするのが仕事、と言うが街に出掛けて女の子に声を掛けては警察を呼ばれたりしていたのを見た事がある。本当に仕事は出来てるのか心配だ。
宿題はあらかた終わらせた。父は撮影があると言ってフラフラと出て行った。暇だ。夕飯の下ごしらえは終わってる。僕は近所を探検する事にした。
山道をぶらぶらと歩く。運動はそんなに得意ではないけど歩くだけならまあ問題ない。安いスーパーを探す為に隣町まで行ったこともある。勾配(こうばい)はそんなにキツくなくてちょっとしたハイキング気分だ。綺麗な空気を堪能しながら歩みを進める。ガサリ。ヤブが動いた。ヘビなどは特に居なかったと聞いてるけど……。戸惑っている僕の前に現れたのは褐色の肌の一人の少し年上そうに見える少女だった。惹き込まれそうな瞳が印象的で手足がすらっと伸びてて、しかも、柔らかそうだった。
「どうしたノ? 迷子カ?」
少しカタコトな日本語。おそらく日本人ではないのだろう。
「いえ、ちょっと散歩してただけです」
少し戸惑いつつも答える。
「そうかー。暇なら一緒に遊ぼう? なんかオマエシンキンカンわいた」
そう言うと少女は僕の手をとって強引に引っ張って行った。
「この先にとてもキレイな場所があるんダ!」
しなやかな肉体から生み出されるエネルギーはまるでジャングルの獣の様で走る姿でさえ美しいと感じた。僕は走りながらも彼女から目が離せなくなっていた。
「ココダヨ」
たどり着いたのは崖の上。透き通るような青空がそこにあって空にある太陽は遮るものなく輝いていた。
「うわあ……」
僕は言葉を忘れて立ち尽くした。
「気に入ったカ?」
「うん!」
それから数日、僕らは頻繁に遊んだ。
彼女はいつも昼過ぎに現れて僕をあちこちに引きずって行く。
釣りをした。
彼女はスシが好きだとニコニコしていた。
昆虫採集をした。
いや、カブトムシは食べられないから。
海岸で泳い……いや、水着ないなら脱いじゃダメだよ!
ともかく色んなことを一緒にやった。田舎での退屈そうな暮らしがこんな風になるなんて思ってもみなかった。明日はどこに行こう……。
「明日帰る。準備をしておいてくれ」
父にそう言われた時、僕は目の前が真っ暗になった。でも、逆らう訳にはいかない。あくまで僕は父についてきただけなのだ。せめてお別れの言葉だけでも言いたかったな。僕は父の荷物をまとめながら目から何か熱いものがあふれるのを感じた。
次の日。気持ちいいほど晴れ上がった空だった。僕は父に言われて駅で電車を待っていた。この駅を出ればもう彼女には会えない。
「ウカない顔してるナ」
彼女の声が聞こえた。
「え?」
「これでお別れみたいダナ」
僕の荷物を見て察したのだろう、彼女はそう言った。
「あの、また、来年、ここに来ます。必ず来ます。だから、また会って、貰えますか?」
精一杯の勇気を込めたセリフ。
「ゴメンナ。ナターリアもここの人じゃナイんダ」
電車が着いた。乗らなくてはいけない。
ふわっといい匂いがして額に何かが触れた。その場所から熱が広がっていく。
「キミが信じてくれるならきっとマタ会えるヨ」
そうして彼女は優しく微笑んだ。
「アデュス」
彼女の言葉が後押しとなって僕は電車に乗っていた。ホームが遠くなる……涙で彼女の姿がにじんだ。
東京に帰ると父は忙しそうにしていたが僕の様子がおかしいのを感じたようだ。
「何かあったのか?」
「うん、田舎でね、女の子と出会ったんだ。太陽のような惹き込まれるような女の子」
「そうかー。お前がそう言うならウチのプロダクションに欲しいな」
「そう言えば最後に「アデュス」って言ってたけど……何語なんだろう?」
「ああ、それはポルトガル……なるほどな」
「父さん?」
父がやるせなく笑ったような気がした。
「いや、なんでもない。そのうち会えるかもな」
「そうだね。きっと会えるって信じてる」
それが僕の初恋のお話。初恋と呼ぶにはあまりにもお粗末過ぎるかもしれない。でも確かに僕は彼女に恋をした。