おせち作り
新年を数日後に控えた早朝、吉備津彦邸の前に1人の洋装の女性が居た。少し緊張した面持ちで扉の前で固まっている。
心情はこうだ。
「来るの早すぎたのでしょうか。でも、料理を作るとなれば色々な準備も必要でしょうし……」
彼女の名前はサンドリヨン。戦場を彩る華麗にして苛烈なる花。だが、今の彼女に対して抱く感想では無さそうだ。
「あのー、何をしていらっしゃるのですか?」
そんな不審人物(サンドリヨン)に声が掛かる。びくんっと身体を跳ねさせサンドリヨンが振り向くと、そこには吉備津彦の従者、犬飼健がジャージ姿で立っていた。
「お、おはようございます、えっと、あのー、そのー……」
真っ赤になりながら答えるサンドリヨン。
「ああ、そう言えば桃様がおせち料理を作るのを教えるって言ってらっしゃいましたね。ずいぶんお早いようですが」
犬飼健はどうぞ、とサンドリヨンを邸内に招き入れた。
確かに早かったのだ。買い出し等を考えればもう少し遅い時間でも大丈夫だったと分かる。だから……
「おう、サンドリヨン殿、お早いな!」
ふんどし一丁で刀を素振りしている吉備津彦と遭遇する事も不思議ではない。
「な、なんて格好……お、おはようございます」
勝手に来てしまったのは自分で、吉備津彦には吉備津彦の予定がある。だから悪いのは自分でデリカシーがないなどと責められない。だから非難の言葉も尻すぼみになってしまう。
それにしても……がっしりしている。太い二の腕、たくましい胸板、引き締まった腹筋、綺麗な鎖骨、そしてその体を支える強靭な足腰……抱きしめられたらきっと……
「桃様、流石にその格好は失礼かと……」
気を利かせた犬飼健の言葉にサンドリヨンは我に返った。
「おお、すまぬサンドリヨン殿。朝稽古の途中だった故、失礼いたした」
「い、い、い、いえ、早く来すぎた私が悪かったのです。吉備津彦様のせいではありません!」
頭を下げる吉備津彦にサンドリヨンは顔を赤らめたまま答えた。
「桃様ー、おはようございま……あーっ!」
女性の声。この邸内で女性といえば
「おお、留玉臣。ちょうど良かった。サンドリヨン殿を厨(くりや)へ案内してくれ」
「ええー、どういう事なんですかーっ!?」
吉備津彦の言葉に事態が呑み込めないようで留玉臣が叫ぶ。
「桃様がサンドリヨン様におせち料理を教えるのだそうだ。だから……」
「反対! 絶対反対! 桃様のおせちを作るのは私の仕事!」
犬飼健の説明を遮って再び留玉臣が叫ぶ。
「すまんな留玉臣。サンドリヨン殿と約束したのだ。おせち料理というものがどういうものか知りたいと言われたのでな。約を違える訳にはいかぬ」
「………………桃様がそうまでおっしゃるのでしたら」
渋々ながらも頷く留玉臣。
「じゃあ、こっち来てよ。下ごしらえから教えるから」
「はい、よろしくお願いします」
サンドリヨンは素直について行く。
「……絶対に認めないんだから」
留玉臣のつぶやきはサンドリヨンには聞こえなかったようで二人はそのまま台所に入っていった。
「まずはこれに着替えて貰うわ」
そう言って留玉臣が差し出したのは割烹着。
「台所だと色々汚れるから……」
「ああ、ご心配なく。ちゃんとエプロンを用意してきましたから」
サンドリヨンは懐()からエプロンを取り出して着用した。
浮いている。
「…………悔しくなんて……くっ」
なにかに悔しがる留玉臣に不思議に思いながらサンドリヨンは髪をまとめる。頭には白い三角巾。灰かぶり隊で先輩方の世話をしていた頃の懐かしいスタイル。
「用意できました」
堂々と立つ姿も綺麗だ。それに大きい。
そうこうしている内に吉備津彦が割烹着で現れた。
「うむ、お待たせした。では始めようか」
「はい、よろしくお願いします」
「ではまずおせちと言えば黒豆だな。まず……」
「圧力鍋に出来てます」
留玉臣が平然という。
「うむ、では数の子を」
「だし汁に漬けてあります」
「それでは田作り」
「ごまめならあぶりましたよ」
「ならば昆布巻」
「初心者じゃかんぴょう結べないと思いますので無理です」
容赦ない留玉臣の却下に気まずい空気が場を支配した。
「さあ、分かったでしょう。もうやることないんですからサンドリヨン様には申し訳ありませんがお帰りいただいて……」
「おーい、栗きんとん用の栗もらってきたぞー」
楽々森彦が空気を読まずに飛び込んできた。
「お、おお、楽々森彦、ちょうど良かった。よし、サンドリヨン殿。では栗きんとんを作ろうではないか」
「は、はい!」
恨みがましい目を楽々森彦に向ける留玉臣。そんな彼女を「嫗様がお呼びだよ」と楽々森彦が引きずっていき、二人の共同作業が始まった。
「まずはさつまいもだ。これを茹でて潰すのだ」
「わかりました。このまま茹でると煮えにくいので薄く切りましょう」
サンドリヨンが包丁でさつまいもを薄くスライスして鍋に入れていく。
「潰すのは俺がやろう。ふんぬ!」
茹で上がったさつまいもをまな板の上に載せて叩き潰す。
勢い余ってまな板まで破壊したァ!
「や、やり過ぎでは?」
「うむ、少し力が入りすぎてしまったようだ。では、この潰れたさつまいもをザルに通すのだ」
「ああ、ピュレですね」
料理勘のあるサンドリヨンなので吉備津彦の大雑把な説明でもなんとかなるようだ。
「栗は甘く煮ておくのだ」
「甘く煮る……グラッセでしょうか?」
手際良く動くサンドリヨンに感心する吉備津彦。
それにしても……美しい。外見だけでなく所作の一つ一つが洗練されているのだ。まるで舞踏会で踊るように滑らかな動き。一部主張が激しい部分もあるようだが……
「あとは何をすれば?」
そこまで考えてサンドリヨンに見蕩れていた自分に気づいた吉備津彦。
「あとは細かくなったさつまいもに砂糖を入れて煮るだけだ」
「でも、それでは味が……そうだ!」
サンドリヨンは懐()から生クリームを出して混ぜ始めた。ホイッパーをかきまぜる度に主張の激しい部分がたわわに揺れる。
「そしてこれも」
続いて取り出したのはバター。
「お菓子作りでも生クリームとバターがあればより美味しくなりますから」
と言いながらサンドリヨンは栗きんとんに生クリームとバターを加えていった。
「さて、出来たようだな」
吉備津彦とサンドリヨンは煮詰まった鍋を覗き込んだ。甘い匂いが漂ってくる。
「味見してください」
サンドリヨンが小皿にとって吉備津彦に差し出す。
「どれ……うむ、これはコクがあって美味いな。今まで食べた栗きんとんで一番だ」
驚いた様に吉備津彦は言う。
「正直、栗きんとんは和の物。そこに洋の物を入れてもなあ、などと思っておったのだが。許せ」
深々と吉備津彦は頭を下げる。
「私こそ思いつきで入れてしまい申し訳ありませんでした。でも……」
微笑みながらサンドリヨンは言う。
「洋のモノと和のモノ。深く結びつく事もあるのです。こういうのをフランスではマリアージュと言って……」
そこまで言って気づいた。マリアージュ。すなわち「結婚」。恐らく吉備津彦は分かってないと思うが……
「なるほど、マリアージュというのか。良いものだな、マリアージュというのは。俺とサンドリヨン殿が共に戦うのもマリアージュと言えなくもないな!」
なんてセリフを吐かれた日には……
気絶しそうな意識を押さえつけながらサンドリヨンは微笑み返すのが精一杯だった。
もうあと少しで新しい年が始まろうとしていた。来年も良い年になるといい。そんな事を誰もが思いながら年も暮れていくのだった。